


























現れたくろがねの刃に、敵が怯む。
【黒い影】
「人間のふりは、いい加減やめるといい。
うまく化けたつもりだろうが隠しきれていない」
スカートの裾から覗いている。
短い繊毛に覆われた脚が一本、二本……三本、四本。
全部で八本。
【黒い影】
「その姿――絡新婦の容か」
【絡新婦】
「お前、陰陽師……」
【黒い影】
「違う。
……とはいえ、そちらから見れば同じようなものかもしれない」
【絡新婦】
「同じ存在だと思ったからここへの立ち入りを許したのに、
騙したの」
【黒い影】
「同類だと勝手に思い込んだのは、そちらだろう」
あさましくも禍々しい蜘蛛の脚が振り上げられる。
いまにもこちらを捉え、その牙でかみ砕かんとして。
【黒い影】
「抵抗の選択肢がある、というのは悪くない……。
それが有効かどうかは別として」
【黒鳥 由弦】
「では、先ほど任務終了した件の報告をいたします」
【三貴子】
「お願いするわ」
案件の起因や背景については、すでに文章化してあった。
狭間を通って事務所に戻り、急ぎ顛末を付け加えて完成させた
書類を手に、黒鳥は報告を開始する。
今日起きた諸々は全員が承知しているが、あえて読み上げること
により、各人の認識を統一し、コンセンサスを取るのだ。
こうしたところは、いかにもお役所的である。
もう慣れたが。
【黒鳥 由弦】
「本件の発端は、調査部の若手調査員からの指摘です。
いじめに関する各区の月報の中に、突出して件数の多い小学校が
発見されました」
【黒鳥 由弦】
「同時期、文科省が管理している保健室の利用状況を見ていた
当該調査員が、やはり突出して保健室利用率の高い小学校がある
ことに気付き、クロスチェックの結果、同一小学校だと判明」
ここで言う調査部とは、東京都内におけるアラマツリの気配を
見つけ出し、また洗い出す部署を指す。
あくまで調査専門の部署であり、実際にアラマツリと対峙する
ことはない。
しかし、アラマツリに関連する部署であるから、黒鳥が所属する
このアラマツリ対策課と同様、公的にインビジブルな組織と
なっている。組織表に乗っていないのだ。
ちなみに黒鳥たちがいる対策課は都庁ビルの7階にあり、調査班は
9階にあるため頻繁に顔を合わせるわけではない。
【黒鳥 由弦】
「いじめの多さと保健室利用件数の多さは、生徒のメンタル面の
問題である可能性もありとして、いったん東京都教育庁・指導部の
預かり案件となりました」
【伊波 耀】
「調査部としては、判断を保留したわけだな。
必ずしもアラマツリ絡みの問題じゃないかもしれないって」
【天道 瀧】
「そのくらい慎重でいいんですよ。
人間同士のありふれた問題であるなら、それに越したことはないん
ですから」
皮肉めいた口調でこぼした伊波を、天道が取りなすように言った。
そう。
アラマツリ絡みの事案でないなら、その方がいい。
だが今回、残念ながら調査部の期待は外れた。
【黒鳥 由弦】
「指導部による当該小学校の生徒及び教職員への聞き取りを行った
ところ、超常現象の目撃証言が頻出。
アラマツリによる災禍であると認定されました」
この時点で、教育長・指導部による小学校の聞き取り調査は中止と
なった。
代わって、調査部による情報収集が開始される。
密かに、ごく密かに。
アラマツリ対策課が出動するための下準備として。
【黒鳥 由弦】
「まず、当該小学校で頻発する超常現象の因果関係を調査。
三か月前に四名の生徒が一酸化炭素中毒死するという事故があった
ことが判明しました」
【伊波 耀】
「……。ニュースで見たから覚えてるぜ。
たしか、家庭科室でのガス漏れじゃなかったか」
【天道 瀧】
「そうです。
担任教諭がほんの少し目を離した間に家庭科室へ忍び込み、
遊んでいるうちに」
【伊波 耀】
「子供が死ぬのは嫌だよなあ……」
【天道 瀧】
「……ええ」
悲劇だ。
犠牲者が無垢であればあるほどいたましい。
【一識 星明】
「いらっしゃいませ」
天道は軽く片手をあげて、黒鳥は小さな会釈でマスターに応える。
まだ時間が早いためか店内は空いており、天道と黒鳥は
いつもの席に座ることができた。
無垢の一枚板でできた店自慢のカウンター席に、ふたり並ぶ。
【一識 星明】
「おふたりとも、仕事上がりですか?」
【天道 瀧】
「ええ。
残業から解放されたところです」
【一識 星明】
「お勤めご苦労様です」
やり取りをしながら、マスターは流れるような仕草でコースター、
おしぼり、水の入ったグラス、メニューをカウンターに並べる。
【一識 星明】
「なにをおつくりしましょう」
天道はメニューを見ることなく答える。
【天道 瀧】
「オールドパー、ロックで」
【一識 星明】
「初っ端から飛ばしますねえ、天道さん」
【天道 瀧】
「早いところ酔ってしまいたい気分なんです」
天道が寄ってしまいたい、というほどに酔うのを
黒鳥はしかし、見たことはない。
【一識 星明】
「お強いくせに、なにを仰います。
黒鳥さんは?」
なんでもいいと答えそうになるのを抑え、黒鳥はメニューへ視線を
落とす。
【一識 星明】
「ごゆっくりどうぞ」
【黒鳥 由弦】
「いえ……、モヒートお願いします」
どんな酒だか見当もつかないような品名の中、一番文字数が少ない
ものを選んだ。
【一識 星明】
「かしこまりました」
オーダーを終えた天道と黒鳥は、深く息をついた。
申し合わせたように、同時に。
【天道 瀧】
「――……」
【黒鳥 由弦】
「――……」
選択の余地なく天道に連れてこられたが、黒鳥はこのバーが
決して嫌いではなかった。
重厚だがシンプルな内装は、雑多で猥雑な新宿の街で
いかにも隠れ家然としていて落ち着く。
明るすぎず暗すぎない照明は、疲れた目に心地いい。
そしてなにより、静かだ。
急き立てるようなBGMも、わざとらしい嬌声もない。
いい酒と節度ある会話を楽しむためのバーであり、
いかにも天道に似合いの店だと黒鳥は思う。
もっとも、天道がこの店を贔屓にするのは――……。