2021年4月4日
11時00分
東京都文京区本駒込
白洲邸
その日は、朝からよく晴れた。一週間前よりも気温は下がって、春らしく過ごしやすい一日になりそうだ。少しばかり風があるようだが、散りかけの桜が水面に舞って、かえってお誂え向きというものだろう。できすぎた日和である。
当日の雑用は、祖母と母が長年通う茶道教室の生徒らが手伝ってくれるそうで、白洲はむしろ放っておかれているのをさいわい、其扇を裏門から人目に付かないよう迎え入れ、離れの私室へ通した。
「いっそ大雨で中止になっちまえと祈ってたんだがな」
「お生憎様でしたね。私、どうも晴れ男みたいで」
そう言って笑う其扇は、白洲の部屋へ入るなりジャケットを脱ぎ、シャツのボタンも外しかけている。
「おい、まだ着替えるのは早いんじゃないか。始まるまで、だいぶ時間があるぞ」
「桜のお茶会」は午後1時から3時まで。招待客はその時間内で自由にやってきて、花を見ながら茶を飲み、いっとき会話を楽しんでから三々五々帰っていくのだ。其扇が開始時間に顔を出すつもりであるにせよ、たっぷり2時間もある。
「でも、なんだかじっとしてられなくて……よいしょ、っと」
其扇が持参してきた鞄を手元へ引き寄せる。畳紙、つまり着物がそのまま入る大きなものだ。茶席用の支度一式が入っているのだろう。
「招待状を受け取ってから、慌てて実家の母に引っ張り出してもらったものなんですけどね。念のため、一緒に確認してもらえませんか?」
其扇は、鞄からいくつもの包みを取り出して解いてみせる。
あらかじめ香を焚きしめてあるのか、典雅な伽羅の香りがほのかに漂う。しまいっぱなしだった着物からは樟脳の匂いがしがちだが、もう、この点からして行き届いているというほかない。
「着物はお召のひとつ紋です。袴は仙台平の馬乗仕立て。これで大丈夫ですか?」
「問題ない、俺も同じだ。というか、立礼なんだから、客はスーツだって構わなかったのに」
「でしょうね。でも、勝負ですから」
「勝負?」
白洲に対しては「いいタマ」であるものの、基本的におっとりとにこやかで、およそ好戦的な言動をしない其扇の口から出た言葉がらしくなく感じられ、つい鸚鵡返しに問う。
「勝負と言って大袈裟なら、正念場かな。今回の招待って、ああ試されているんだな、と思ったんですよ」
「……誰に?」
「貴方のおばあ様に。お母様と妹さんも、かな。要するに、白洲家の男子が交誼を結ぶにふさわしい人物かどうか、ジャッジされるんです」
「……君が?」
「私が。ライバルとしてか、友人としてか、それとも……我々の仲に気付いているなら、恋人としてか。いずれにしても、ひとつ隙を見せたらアウトでしょうね。かといって、小賢しく思われてもいけない。なかなか手強い相手ですよ」
「そんなこたぁねえだろうよ。お気に入りのアイドルに会うみてえなノリで呼んだだけだろ。女三代、テレビで君を見かけるたびに可愛らしいだの将来有望だの、べた褒めなんだぜ」
実際、その通りなのだ。
祖母はたしかに幾分厳しい人ではあるが、母や妹に、其扇が考えたような意図があるとは思えない。
しかし其扇は、白洲をじっと見詰めたあと、ほろ苦い笑みを浮かべて言った。
「……わかってないんだなあ、武彌は。おうちの女の人たちから、本当に大切にされているのに」
――いや。いやいやいや。
そんな覚えはない。
むしろ、常に雑に扱われている。白洲の都合などお構いなしに用事を言いつけられ、いらぬ世話を焼かれては「駄目ねえ」と下げられ、祖父や父や顔も知らないご先祖様と引き比べられる。これのどこが大切だ。
「あのなあ、晟尋……ん、ん――ぅ……」
「――ふ……――」
否定の言葉は、重なった唇へ呑み込まれた。幾度か繰り返すたび、重なりが深くなる。そうして舌が絡み合うころには、伽羅の香り漂う中、ふたり抱き合って横たわっていた。
「おい、こら……どういうつもりだ……?」
「ふ、ふふ……大切な白洲家の御曹司を、ちょっとつまみ食いしてしまおうかな……って」
「それで痛快なのかよ?」
「嫌だなあ。そこまで性格悪くありませんよ」
「どうだか」
軽口を交わしながら、互いの服を乱していく。
――やばい、本格的にスイッチが入る。
このまま耽溺してしまいたいのをいったん抑え、白洲は、立ち上がって部屋のドアへ向かう。
「武彌? どうしたんです?」
「ばあさんがな、この部屋の合鍵持ってやがるんだよ」
「ええっ? じゃあ、やめたほうがいいかな」
「いや。こうする」
ひとり掛けのソファを持ち上げ、ドアの前に置いた。その後ろにあるふたり掛けのソファがつっかい棒代わりになるという具合だ。
「少なくともこれで、ドア全開にはならない。女どもはいまごろ水屋でてんやわんやでこっちへはまず来ないだろうが、まあ、念のためだ」
「もうねえ……思春期の男の子じゃあるまいし」
「いずれドアチェーンつけるさ」
しかし、そうした後ろめたさとスリルが、情事のスパイスとなるのも確かである。
はじめはほんの少しじゃれ合うだけのつもりだったのに、どちらからともなくその先を求め、次第にのっぴきならないところへと来てしまった。
「晟尋――……もう……」
「はい、武彌……私も、もう――……」
すっかり勃ちあがったものは、包まれる場所を求めて、解き放たれるときを求めて、抱き合う身体の間で震えて濡れている。
繋がりたい。
めくるめくような快楽と絶頂へ、ふたりで身を投じてしまいたい。
だが。
「入れたら、まずいよな……おまえ、すぐには立てなくなるだろ……」
「ん、ん……武彌が、セーブしてくれたら……」
無理だ。セーブなどできない。
一度交わってしまえば最後、貪らずにはいられない。なんだか今日はそんな気がする。白洲も、おそらくは其扇も。
「でも、出したいです……武彌は……? 身体、おさまる……?」
「おさまんねえなあ……」
射精してしまわなければ、どうにもならない。
ならば――。
「武彌……仰向けになって」
「ん? ……おい、もしかして」
「……お察しの通りですよ――」
其扇は、けだるく身を起こし、仰向けに横たわった白洲の頭をまたぐような格好を取る。やや躊躇ったのち、大きくひとつ息をついてから白洲のものに舌を這わせた。
「ん――」
「っ、う…………」
腰から這いのぼる快楽に、白洲は他愛なく呻く。幾度も抱き合ってきて、互いの感じるところ、好きな愛撫、すべてを知り尽くしているからこそ得られる体感に身をゆだねた。
「いい……いいぜ、晟尋――……もっと深く……」
「――は……はぁ……っ、あ――武彌、たけ、み……ねえ……」
「……ん……? なんだ……?」
其扇がなにを求めているか、問うまでもなく白洲にはわかっている。目の前で揺らめく腰の、そこで屹立する性器の、膨らんで濡れた先端の、いまにも垂れ落ちそうな粘液のおびただしく溢れるさまを見ればわかる。
それでも言わせたい。
其扇に求めさせたい。
「な……舐め、て……私のも……っ」
「ああ、いいぜ……舐めて、それから……?」
「口で、いかせて……武彌も、私の口で、いって……!」
「晟尋――」
あとは、言葉にならなかった。
唇は、舌は、吐息さえも、互いの快楽のために用いられた。
言葉はいらなかった。そういう官能を其扇と共有できるようになったことに、白洲は、肉体以上の充足を覚えた。
――これが、そうなのかな。
氏素性に付属したものではなく、親から与えられたものではなく、みずから手に入れた幸福なのかもしれない。
ならば、もう離さない。
白洲武彌は欲深いのだ。