鑑賞用
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 ほのかな甘い香りを漂わせながら、色とりどりの花が出迎える――ここ静華楼は今日も賑わいを見せていた。町唯一の宿であるのはもちろん、料亭も兼ねているため、食事時は料理目当ての客も多い。
 外見も華美ではなく、内装も落ち着いた色合いで統一されている。よく言えば居心地がよく、悪く言えばやや退屈な場所だ。

だが、今の女将になってからは、少しずつ華やかな品も取り入れられるようになった。花を飾り始めたのも、その一環だろう。
 「鑑賞用に」と女将が言い、多くの花を抱えてやって来たのはいつ頃だっただろうか。
 今では、客を出迎える顔として欠かせない。

 しかし花とは枯れるもので、春の名物である桜も、花弁を散らしていた。

「女将、そろそろ新しい花を飾った方がいいんじゃないかい?」
「おや、本当だ。もう夏も近いし、ちょうどいい頃合いだね。……透佳、買ってきておくれ」
「はいはい、わかったよ。適当に選んで大丈夫?」

 面倒くさそうに返事をした透佳は、花よりも客の視線を集め、愛でられる側の存在だった。
 整った体格に、切れ長でありながら甘く人を見つめる垂れ気味の目。さらに洒落っ気のある服も相まって、ここ一帯で彼を知らない者はいないほど有名である。

――と言うのは、少々自意識が過ぎるかもしれない。

 つい先日、噂で自分のことを聞きかじったことがあるというだけの人物に出会った。
しかもその相手のことを、透佳は以前から知っていたのだ。
 普段とは立場が逆転したその感覚に、妙に感心したのを思い出す。

 そんなことをぼんやりと考えながら、身だしなみを整えて外へ出る。静華楼からほど近い橙門市場の花屋へ向かった。まだ富裕層にしか広まっていない花を扱う店は少なく、ここは貴重な店だった。

「こんにちは。今、大丈夫かな?」
「はい、どちら様――透佳さん……! どうされました?」

 挨拶をしながら暖簾をくぐると、最近嫁いできたという娘が出迎える。

「女将のお遣いだよ。静華楼に飾る花、頼んでいいかな」
「勿論です。いつもご贔屓にしていただいてありがとうございます」

  そう言うと娘は、躑躅や紫陽花を勧めてくれた。
 どれも透佳に合わせたような色合いに思え、わずかに引っかかるものがあった。だが、透佳は特に選び直すこともなく、女将から預かった金に収まる範囲で購入を決めた。娘は手際よく花をまとめ、透佳に手渡す。

「女将さんにも、よろしくお伝えください」
「ああ。きっと今回も喜んでるよ」

花を受け取りながら、透佳は僅かに微笑んだ。視線に気づき、何かあったかと娘を見る。彼女もそれに気が付いたようで、気まずそうに顔を背けながら口を開いた。

「ふふ、こんなに素敵な花ばかりなのに、透佳さんが持つと全部霞んでしまいますね」
「ありがとう、お世辞でも嬉しいよ。じゃあまた今度もよろしくね」

 よく言われることだ。慣れたもので、流れるように返事が口から出てくる。そのまま、娘が滲ませた恥じらいには気が付かなかったふりをして、透佳は店を出ようとする。

「あ! 透佳さん。これ、よければ持って帰ってください」
「これは……?」

 呼び止められて振り向くと、白く可憐な花を一輪、差し出されていた。

「最近こちらに伝わってきたばかりの花なんです。恋占いによく使われるとかで……」

 もう身を固めたはずの娘は、その話題を楽しげに語る。どうやら巴里発祥の占いらしい。

「花弁を一枚ずつ抜いて、最後の一枚が結果らしいんです。ぜひ試してみてください」
「随分可愛らしい占いだね。どうしてまた俺に?」
「えっと……透佳さんにも、やってみて欲しくて……」

 俺が試したい相手がいると思っているのかい、という言葉が喉まで出かかったが、透佳はそれを何とか耐えて笑顔で礼を伝えた。
 店を後にして静華楼へ戻る。占いに興味もないし、買った花に紛れ込ますには一輪では物足りない。
 特に何を占うでもなく、花弁を一枚、また一枚と千切っていく。

(恋愛、ねぇ――)

 好意的に見られるのは悪くない。だが、今日のように嫁いだばかりの娘に頬を染めて見つめられるのは、どうにも落ち着かなかった。
 ぼんやり歩いていると、前方に淡い茶色の猫っ毛が目に入る。

「真秀君」
「あれ? 透佳さん?」

 彼こそが、噂だけで透佳を知っていた人物だった。
 自分は君のことを知っているのに、と思ったのは彼が初めてだ。

「そんなに花を抱えて、どうしたんですか?」
「ああ、女将からのお遣いさ。真秀君は今帰りかい?」
「あ、あー……いえ、ちょっと用事が」

  視線を逸らしそそくさと帰ろうとする彼の様子に、以前、無理に彼を付き合わせて酔わせたことを思い出す。
 警戒するように視線を泳がせる様子に、自然と笑みがこぼれた。

「あはは、今日は何もしないよ。この通り、手も塞がってるしね」
「そ、そうですよね……。あれ、その白い花は一つなんですね」
「ああ、これは貰ったんだよ」

 彼の前に差し出してみたが、いくつか花弁を失ったそれは人に見せるようなものではなかった。
 案の定、真秀は一瞬困ったような表情を浮かべる。

「……随分と……嫌われてたんですか?」
「ええ?」
「散った花を貰ったんですよね……?」
「あははっ! 違うよ、花占いを教えられてね。それで試してただけさ」
「花占いですか? 透佳さんが、一体誰を……」

 問いは途中で途切れた。真秀は踏み込むのをやめたのだろう。
 もしくは、恋愛ごとを占ったと決めつけたことへの罰の悪さか。

「誰でもないよ。そもそも、こういうのは信じてないんだから」
「その割に、最後の一枚だけ残してるんですね」
「結果がすでに分かっているのに、全部抜くなんてかわいそうだろう」

 そうだろうか、という懐疑的な視線が向けられる。
 透佳は軽く笑って受け流した。

「さ、俺はもう行くよ。女将に遅いって怒られそうだ」

 そう言ってその場を後にする。
 背後で真秀の別れを告げる声が聞きながら、もはや意味を失ってしまった花を、徒に指先で弄ぶ。

 鑑賞用。
 望まれる美しい姿をしていなければ、人々に顔を顰められる。個性など必要ない。ただ求められる理想の姿であればいい。
 通りすがりの人々の視線は、今も自分に向けられていた。

――だから、今日も透佳は愛されている。

 そう思いながら、とうとう最後の花弁を千切った。

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