「So are you.」
黒いインクを溢したような深い闇に、
鮮血のように紅い月が浮かぶ夜。
「This is the night of Hallowe'en!」
壁に掛けられた鏡の前でレースのつけ襟を正し、 くるりと回って魔法の言葉を楽しげに唱える。
ジャック・オー・ランタンに見立てたカボチャを軽く蹴って躙れば、笑顔が溢れた。
さあ、極上に甘いお菓子を貰いに行かなければ。 チリン、と首に下げた鈴がご機嫌に鳴った。
*
「……ふむ。バサラ、その格好は?」
「黒猫です! 可愛いですか?」
「そうだね、可愛いよ」
ソファに押し倒された状態で、 猫耳と猫尻尾をピクつかせながら覆い被さるバサラに、 天現寺橋は余裕げに賛辞を送る。
バサラはわざとらしく、にゃあ、と一鳴きすると天現寺橋の胸に頬ずりをした。
尻尾の動きが微妙に速くなった様子から、嬉しがっているのが伝わってくる。
暫しすれば視線はこちらに戻され、一秒か二秒、見つめ合う。
バサラは、にっこりと微笑んだ。
「お菓子をくれないと悪戯しちゃうぞ! です!」
「……ああ、成程」
ついっと、天現寺橋はバサラの言葉に目を遣る。
カレンダーにある今日の日付をうつろと眺め、
慣れない行事に思いを馳せた。
ハロウィンのきちんとした由来をバサラが知っているかは定かではないが、 可愛い式神が興じた政にのるのも悪くないと、天現寺橋は小さく笑う。
息がかかるほどの距離にあるバサラを軽く窘めると、 上半身に力を入れて身を起こす。
「いいよ、確か冷蔵庫に上大崎から貰ったチョコがあったはずだから――」
しかし、ぐっと腕を掴まれたと思えば、言葉は口の中へ押し込まれてしまう。
音ごと味わうように舐められ、吸い取られてしまい、最後まで綴られない。
時折動いた耳が前髪に触れ、くすぐったさに肩が弾んだ。
「――ん、あ」
甘ったるい声を期待してなのか。
今度は、天現寺橋のまだなんの兆しもない場所を、尻尾がやんわりと上下に擦りつけてくる。
バサラの意志通りにスルスルと動くこの尻尾は、 一体どんな仕組みになっているのやら。
天現寺橋は息を吐くと、着物の裾を捲ろうとする尻尾を掴んで、動きを止める。
弄ぶようにピンと、爪で弾いた。
「あー、センセイ! お菓子は勝手に動いちゃ駄目ですよー!」
バサラは尻尾を取り戻すと、 駄々を捏ねるようにソファをぎしぎしと揺らす。
「ふーん、僕がお菓子ねぇ。それじゃあ、どっちにしても僕はバサラに悪戯されるってことかな」
「はい!」
明るく返事をして、バサラは首に腕を回して甘えてくる。
その弾みで、背中が再度ソファに落とされる。
傍迷惑な行動だと思いながらも、ごろごろと喉を鳴らす姿は本物の猫のようで憎めない。
息を吐くと、天井を眺めながら頭を撫でやった。
「……やれやれ。けれど、何で黒猫なんだい?」
「センセイ、『今宵はハロウィン、あらゆる魔女を見ることができる』ですよー。黒猫は魔女の化身なんです」
「へー、マザーグースなんてよく知ってるね」
バサラの意外な博識に、率直な驚きと感嘆の声が漏れる。
「ふふ、えへん! 他にも知ってますよ。ええっとぉ~、ばらはあかい、すみれはあおい……」
「ああ、それかい。確か続きは――」
ふと、覗き込まれて天井が見えなくなる。
バサラは舌をちらりと出して、天現寺橋の唇をぺろりと舐めた。
「『さとうはあまい、そしてきみも』」
最後の節を唱和して、微笑み合う。
「センセイっていう甘いあま~いお菓子をください」
「残さず食べるなら、いいよ」
悪戯に挑発すると、目を瞑る。 バサラが嗤ったのが頬にかかる吐息で分かった。
「お安い御用です」
得意げな返事と同時に、身体を沈められる。
いただきます、とキスが首筋に下りてきた。
【了】
絵:坂本あきら 文章:穂波