お医者様でも草津の湯でも――時雨の場合
顔を見て触れ合う機こそ数日おきだが、式神なり遣い魔なりの言付けなら、一日とて欠いたためしはない。
時には窓硝子に「只今、潔斎中」と文字が浮かび、時には読みかけの新聞紙に「本日、魂送リ乃儀式」という書き付けが紛れ込んでいたりする。日々の動向を必ず知らせてくれるので、京一郎は、逢えない淋しさや不安を感じることはあまりない。
その点で、時雨はまめな男だ。見掛けによらず。
一応は普段よりよろしくない顔色ながら、布団の中から手招く時雨は、とても重篤な様子には見えない。
少なくとも、雀を遣い魔に急を告げるほどには、とても。
安堵と怒りが綯い交ぜになって胸に湧き、思わず京一郎は、手土産を時雨に向かって投げつけた。
どれほど苦しんでいるのだろうと。もしや時雨を失ってしまうのではないかと。
拭い去っても拭い去っても、またぞろよぎる不吉な予感で道々泣きそうになっていたというのに。
病床の恋人の喉を甘く潤すための林檎は痴話喧嘩の凶器となり果て、ひとしきり寝間に乱れ飛ぶ。
今度こそ額へ狙いすましていた手を、京一郎はぴたりと宙で止めた。
体調を崩したことがない? そんな人間が、いるのか。
絶句する京一郎から気まずげに目を逸らし、時雨は布団に潜り込む。
布越しのくぐもった声で、つまりは幾分病人らしく、ぼそぼそと語り出す。
そんな馬鹿な、と言いたいのをようやくこらえた。
鍛えた刀を五本も帯び、軍人を相手にあれだけの大立ち回りをしてのけた時雨が、かすり傷ひとつ負ったことがないなど、俄かには信じがたい。
なるほどそんな超人の時雨に対して、臣や乙若が不謹慎な慨嘆を漏らすのももっともである。
確かにそれは少しばかり、いや、かなりひどい。かもしれない。
体調を崩していると些細なことが不安に感じられるものだから、病人には常に増して気を遣ってしかるべきだ。
京一郎とて病を得れば、薬よりも医者の診断よりも、慈愛に満ちた母の言葉と手に癒された。
しかし男所帯の五本刀、そうした心配りは望めまい。
となると――そこそこ元気でありながら時雨が京一郎を呼んだ理由にも、おのず合点がいく。
溜息さえも甘さを帯びる。
そっと布団を剥げば、頼りなげな少年の面影を残した顔。
熱で潤んだ瞳が、ひとしおの哀れさを誘う。時雨のつらい生い立ちに思いを馳せれば、尚更に。
大丈夫か、苦しくないかと夜なべに看取り。
夜半の目覚めには枕元の微笑み。
意地を張って引き結んだ時雨の唇を、指先で柔らかくほどく。緩んだ唇に、唇をそっと押し当てた。
今だけだ、ほだされてやる。ただし病が癒えるまで。京一郎の心を奪ったのは、いつでも強い時雨なのだから。
だけどたまには、こんな時雨も悪くない。
「臣殿。若のお薬、調合できましたが」
「ああ、乙若か。ご苦労だったが、もはや無用になったわい」
「は? どういうことで?」
万病快癒の仙湯よりも医者よりも、よっぽどの特効薬があるようで。
了